中沢新一とオウム真理教~80年代をめぐって~ (3)

このことを考えていてどうしても想起せざるをえないのは、ミステリー作家の笠井潔その人だ。全共闘運動も終わりを告げる頃に新左翼の最終ランナーとして登場し、「地球と人類の物理的変革」をめざしたこの孤高の革命家は、連合赤軍事件についての徹底的な思索を通じて、自らの中に巣食っていた過剰な観念を解体しつくした。

その解体と再生の過程は、彼のデビュー作である『バイバイ、エンジェル』の中に最もよく表現されている。鋼のような意志ですべてをそぎ落とした主人公・矢吹駆を待っていたのは、地上のあちこちでなおも過剰な観念の倒錯を続ける悪との果てしない戦いだ。

そして、その徹底的な観念批判を書物にしたのが、『テロルの現象学』だ。どちらも再版の予定が立っていないのが信じがたい。日本にはここまで透徹した思索についていく読者が限られている、ということなのだろう。
しかし、今もなお、オウム真理教を分析する上で、もっとも有効な枠組を提供してくれる書物であると、僕は思う。
というのは、純粋な善意やより良きものへの意志から生れた集団が、なぜ、どのようにして、他者を抹殺して省みない最悪の集団に転化するのか、という問いかけがそこにあるからだ。

ナチス・ドイツはワイマール文化の爛熟の果てに生まれた。それはドイツが遅れていたから生まれた跋行現象ではない。ワイマール共和国がはらんでいたありとあらゆる自由な夢想が、最悪の形で結晶した。それがナチスだ。

連合赤軍事件も、地下鉄サリン事件も、次にどんな思いがけないところでその後裔を育んでいるかもしれない。こうした過剰なものとの戦いは果てしない。

ただ、怖しいのは、戦っているといつの間にかお互いが似てくるということだ。

悪魔と戦っている天使のつもりでいると、気がついたころには自分が巨大な悪魔になっていて、無数の天使たちを殺すことになりやすい。

「テロとの戦い」を主導したアメリカが、狂ったように爆弾を落として、アフガンやイラクや、今度はイランまでも、この地上から抹殺しようとしているかのように見える。それはどちらが悪魔かと言われれば、巻き込まれて殺された子供の数を数えただけで答えはわかる。

怒りにかられると、そんな単純なこともわからなくなり、しまいには自己正当化を始める。それはアメリカがずっと繰り返してきたことだ。その陥穽に気づかなければならない。

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