宮崎駿の思想 (1)

映画「風の谷のナウシカ」の話をいとこから初めて聞いたのは、たぶん1984年が終わる頃だったと思う。雪がちらつきそうな寒い夜だった。
いとこの彼は大学を出た後、西武新宿線の沿線に一人住まいしていて、資格試験の合格のために故郷を遠く離れたまま勉強を続けていた…はずだったが、彼のアパートを訪れた僕に、いとこはナウシカへの情熱をシラフのまま2時間も3時間も語り続けた。
映画をまだ見ていなかった僕は、話を聞いてもストーリーを理解できないのは、自分の頭がわるいのか、それとも彼の説明が下手なせいなのか判別しかねたが、実際に見た後でそれは容易には説明できないほど複雑なプロットのせいだったことがわかる。

宮崎駿はインタビューの中でこう語っている。

「ナウシカ」なんていうこんがらがった作品を作り始めたのは、時代がこんがらがって来てその結果なんだとぼくは思ってるんですけどね。「自然は大切です」とか「宇宙船地球号」とかね、そういう甘い言葉で括れるほど単純な問題ではないんです。人間というものの存在の本質の中に、どこかで自分たち以外の生物を虐殺したり、生け贄にしたり、勝手に色々作り変えたりしながら、それが文化であったり文明であったりするわけです。そうして、人間というものが今日在るわけです。(1997年10月1日 叶精二氏によるインタビュー)
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/miyazaki_inter.html

僕にとっては、宮崎駿は何よりもまず思想家であり、その思想の表現として、言葉よりもアニメをもっともふさわしいものとして選んでいるように思える。
そして、「時代がこんがらがって来」たことへの思考実験や懊悩が、彼の中で想像力として炸裂したとき、もっとも上質な作品群が生まれてきた…そう思えてならない。

宮崎駿は1941年生れ。2007年現在で66歳である。
この世代の人達の大半と同じように、最初は労働運動や社会主義への憧れの中で作品をつくり始める。1968年の「太陽の王子 ホルスの大冒険」が新人の頃に関わった作品で、舞台を「北欧」としているものの、革命ロシアへの憧れをかなり直接的に感じるし、1978年の「未来少年コナン」では、サブストーリーとして、科学万能主義の独裁国家インダストリアを、政治犯と思しき囚人達が連帯して打倒しようとする動きが描かれる。

そのまま行ってしまえば、他の凡百の同年代左翼オヤジと同じように、いつまでもコミューンへの夢を引きずったまま、歴史の中に取り残されていったはずである。
ところがそうはならなかった。どころか、66歳の今でさえ、時代のトップランナーとして、現役を張り続けている。
その転換点になったのが、「風の谷のナウシカ」である。

よく知られているように、宮崎駿は「エコロジスト」と呼ばれることを好まない。そうした決めつけからはみ出してしまう自分自身を感じているのは間違いないし、一度そうした枠にとらわれてしまうと、想像力の翼が奪われてしまう怖れもなしとしない。
しかし、左翼運動に幻滅した人々が求めた次のムーブメントのひとつに、広義の「エコロジー」が存在したこともまた否定できない事実だ。

それはいろんな試行錯誤を経た。日本では、たとえば玄米菜食を推進した桜沢如一のマクロビオティックであったり、日本各地に農業コミューンを作り出したヤマギシズムであったり、有機農業による自立をめざした「大地を守る会」であったりした。気功や東洋医学がブームとなった。リサイクル運動がフリーマーケットとして都市部で定着したのも80年代のことだ。

同じような動きは世界的にも存在した。ドイツで「緑の党」が結成されて議会内でも大きな勢力となり、原発の代替エネルギーが幅広く追求された。マクロビオティックがアメリカで人気となり、ホリスティック医学も流行の兆しを見せ、環境に配慮する企業への投資も行われるようになって、それらすべてが、現在ではロハスと呼ばれる潮流の中にソフィスティケートされて流れ込んでいる。(続く

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