村上春樹『1Q84』~宙吊りになった都市伝説~

1984年といえば、ジョージ・オーウェルが全体主義社会の到来を予言した書の題名だし、オウム真理教が活動を開始した年でもある。村上春樹が最近口にするデタッチメントからコミットメントへ、という方向性が現れた小説になっているという噂もあって、関心を持ってじっくり読んでみた。
しかし、結論から言えば、この小説はどのような現実とも切り結んでいるわけではない。
たしかにヤマギシズムやエホバの証人を思わせる団体や、山梨県にできた密教をベースにした修行団体が登場するが、その教祖はオウム真理教の教祖とは似ても似つかない。むしろ背景設定が近いほど、その中身が違うことを実感する。
登場人物ははっとするほど映像的だ。(以下、キャラ設定についてのネタバレを含む)

意志の強いスタイリッシュなプロの殺人者である若い女性。その女性に殺人を繰り返し依頼しつつ「私たちは正しいことをしたのです」と言い聞かせる、上品な老婦人。老婦人に忠実に仕えるスキンヘッドの大柄のボディガード。
これだけでかなりのストーリー展開が期待できるが、
もうひとつのストーリーとして、本の読めない病を抱えた17歳の美少女が登場し、周りでその子の書いた小説をベストセラー化して売り出そうとする動きが重なる。そしてその美少女が、ヤマギシズムを思わせる山村コミューンの出身で、その両親の行方がわからず、そのコミューンは現在宗教法人となっていて、外部との交流をほとんど断絶しているという設定なのだ。

村上春樹は、オウム真理教のようなカルト教団が現実に人を殺すに至る過程には、実のところあまり興味はないようだ。
むしろ、普通の集団がカルト化するときに、この世界の外部から働いてくる(と彼が信じているかのような)力、またはこの世界の現実に働きかけてくるもうひとつの世界を描こうとしている。
この小説では、リトル・ピープル。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、やみくろと記号士。
これはいわば、都市伝説だ。

村上春樹の小説を読むと、いつも思い出す短編小説がある。
それは、H.G.ウェルズの The Door in the Wall だ。
有能な政治家に成長した友人、ウォレスが語る緑の扉の話。
ウォレスは小さい頃、偶然にその扉を開けて、別世界に入っていったことがある。
そこは夢のような魔法の園だった。
しかし、しばらくして気づくと、彼は壁の外にいて、戻ることはできなくなっていた。
ウォレスはその後、エリートへの道を歩む。
そして何度かまた偶然に緑の扉を目にするが、仕事に追われ、彼は扉を無視した。しかし中年に達したウォレスは、ある夜、ついに何度目かに発見した扉を開けて中へ入り、壁の向こう側にあった工事の穴に落ちて死んでしまうのだ。

しかし、このショッキングな結末にもかかわらず、読者はウェルズが、緑の扉の向こうの世界をたしかに信じていたことに気づく。

村上春樹は、説明のつかない深い喪失感について、書き続ける作家だ。
そして、彼の描くもうひとつの世界、この作品では月が二つ見える世界~1Q84~は、その説明のつかない圧倒的な喪失感が、招きよせたものなのだ。
「あらかじめ失われた恋人たちよ」という清水邦夫の戯曲のタイトルは、村上春樹にこそふさわしい。

ところで村上春樹は、今回スケールの大きな物語の骨格を用意し、キャラの立った映像的な人物を多数登場させながら、物語の結末は曖昧で宙ぶらりんにしたままだ。
やはり2巻では終りではないのだ。
BOOK3<10月-12月>が必ず来る。
ずるいぞ新潮社! 読み終えるつもりでいたのに、まだ出ていない続刊があるとは。


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