国号ヤマトの勧め

内田樹氏の『日本辺境論』を読む。
発言に既視感があり、評判ほどの面白さを感じられなかったが、それでもときどき思いがけないことが書かれている。
“「日本」というのは「中国から見て東にある国」ということです。それはベトナムが「越南」と称したのと同じロジックによるものです。もしアメリカ合衆国が「メキシコ北」とか「カナダ南」という国名を称したら私たちは「なんと主体性のない国名だ」と嘲笑するでしょう。けれども、「日本」という国名は文法構造上そういうものです。だからこそ、幕末の国粋主義者佐藤忠満は「日本」という国名はわが国の属国性をはしなくもあらわにする国辱的呼称であるから、これを捨てるべきだと主張したのです。”
この国の名はさまざまな読み方をされる。
ニッポン、ニホン。安土桃山時代の『日葡辞書』には「ジッポン」の読みも見られるという。
国号が安定していないのは、それがもともと漢字で発想されていて、ある時期に作った名前だからだろう。
その時期とは、天武・持統朝の頃(680年代)で、対外的には702年に唐(周)の則天武后に対して初めて伝えられたようだ。
すると、それまでは何という国名だったのだろうか。
ヤマトである。
ヤマトタケルノミコトは日本武尊、または倭建命と書く。日本、と書いてヤマトと読んでいる例も多くある。
沖縄の人が本土の人間を「ヤマトンチュウ」と呼ぶのは、まさに正鵠を射ているのだ。
日本とは何か、日本人とは何者かという本は山ほど書かれているが、それは「日本」に十分なイメージが蓄積されてこなかったからでもある。

しかし、ヤマトについてはさまざまなイメージが重層している。
最初は邪馬台国の卑弥呼。ひどい当て字だ。
ヤマトの日御子(ひのみこ)、または姫皇女が真意であろう。
ヤマトタケルノミコトの辞世の歌。
やまとは国のまほろばたたなづく青垣山ごもれるやまとし美し
柿本人麻呂の歌。
敷島のやまとの国は言霊の幸(さき)はふ国ぞ真幸(まさき)くありこそ
本居宣長の歌。
しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山ざくら花
吉田松陰の歌。
かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂
身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬともとどめおかまし大和魂

我々はヤマト民族だったのだ。
とはいえ。
ヤマト民族、ヤマトンチュウと呼ばれたときの違和感は、確実にある。
その正体は何か。
そう呼ばれることで、自分達が畿内から始まって周囲を制圧し併呑していった民族の後裔であることを自覚させられるからだ。
つまり、アイヌも沖縄人も日本人ではあるが、ヤマト民族ではない。
東北や九州の人も「ヤマト民族」と呼ばれることには、ためらいがあるだろう。エミシやクマソ・ハヤトのほうが実情に近いからだ。
しかし、この国の成り立ちを強く自覚するためにも、この国をヤマトと呼ぶほうがいいと、私は思う。


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