中沢新一とオウム真理教~80年代をめぐって~ (2)

実のところ僕は、中沢新一がオウム真理教の黒幕だとも、
地下鉄サリン事件の直接の原因をつくったとも思っているわけではない。
それは、ニーチェのユダヤ=キリスト教批判が、
ユダヤ人虐殺を行ったナチスの思想を生み出したという非難に近いものがある。

オウム真理教は、80年代を取り巻いていた、さまざまなスピリチュアル・ムーブメント、
たとえば阿含宗やグルジェフやラジニーシやシュタイナーや、
ついでのことながらUFOや宇宙戦艦ヤマトなどの観念のごった煮の中から、
密教とヨーガを取り出して生れてきたものだったと僕は思う。

ただ、チベット密教の教えの一部に含まれている危険性には、中沢新一は当然気づいていたはずで、オウム真理教や真言立川流のような邪教を生み出す下地があることは、わかっていたはずだ。
わかっていて、それに警鐘を鳴らすようなことはせず、修行の結果得られるというめくるめくビジョンを喧伝した。
そこにたくさんのオウム信者が引き寄せられた。
それは、中沢自身の宗教体験の核心に、そのような危険な教えを否定しきることのできない何かが、あったからではないか。

最近の著書で島田裕巳は、中沢新一が、地下鉄サリン事件以上の大規模なテロによって、「東京の霊的な磁場が変化する」ことを期待するかのような発言を行っていたことを繰り返し指弾している。

実は、密教のこういう要素を面白がる無責任な面々には、80年代からすでに何人か会ったことがある。
しかし、中沢新一の場合は、「面白がる」というレベルをはるかに超えているおそれがある。つまり、そうした危険な教えを孕んだチベット密教を感受したときの、グルと一体化した恍惚の体験から離れられないために、どうしてもその危険性を否定できないという事態に陥っているのではないだろうか。
もしそうだとすれば、それは、自らの神秘体験への没入に力を貸してくれたグル麻原との一体感により、なおオウムから去ることができず、地下鉄サリン事件を否定することもできない少なからぬ信者たちと、同型の罠に陥っているのではないだろうか。

もしそうなら、オウム真理教の信者と同じように、その核心にある神秘体験を徹底的に解体するほどの霊的再生を遂げるのでなければ、また同じ過ちを繰り返すことになるかもしれない。

もっとも、一度こうしたことが起きた以上は、周囲の眼が尋常ではないから、同じことが同じ形で再現するということはもはやありえないのだが。
続く

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