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zoom RSS 魔女狩りと精神医学とブッシュマン〜名著再読・中井久夫

<<   作成日時 : 2010/05/30 01:51   >>

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中井久夫氏は私が勝手に師と仰いでいる人の一人だ。
最初の衝撃は『現代精神医学大系 第1巻』(1979 中山書店)中の論文として執筆された「西欧精神医学背景史」だった。
当時私は大学生で、柄谷行人の「形式化の諸問題」を読み、そこに書かれていたグレゴリー・ベイトソンの分裂病(今で言う「統合失調症」)の病因論「ダブル・バインドセオリー」に興味を持っていた。それで分裂病に関する論文を漁っていたのだが、そこでたまたま出会ったのがこの論文だった。
驚くべき内容だった。
西欧精神医学がどのような背景をもって生まれてきたか、古代ギリシャから魔女狩りの時代を経て今日に至るまでの歴史を、人類学者を彷彿とさせる文化相対主義的な視点から描き出す。

「魔女狩りが中世の事件であるという通念はまったくの誤りである。魔女狩りはおおよそ1490年、すなわち、まさにコロンブスがアメリカを発見し、ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達するのとほぼ同時期に始まり、十七世紀――部分的には十八世紀まで継続した、三世紀にわたる現象であって、ルネサンスから近世への転換期におけるほとんど全ヨーロッパ規模の精神病者狩りを含むものである。(中略)
 ルネサンスは一面においてはアラビアやユダヤを媒介としてきた古代文化に直接接続しようとする文芸復興の試みであるが、他面、魔術的・占星術的・錬金術的なものと結合した秘教的ネオプラトニズムの復興でもあった。(中略)
 精神科医ならば容易に理解できるように、ネオプラトニズムに親和性のある性格類型の一部はパラノイア的な性格と重なり合っており、そして彼らほど他に責任を転嫁、投影することの巧みなものはない。いわゆる魔女の集会(サバット)に参加したものが魔女とみなされ、サバットへの参加の告白が焚刑に処する必要十分の理由とされたが、1486年に二人のドミニコ会の僧侶が有名な『魔女の槌』を執筆して以来、魔女のサバット、すなわちそこで行われる儀式、女性とサターンのかかわり方などが細部に至るまでまったく類型化され、十八世紀まで変更を見なかった。」

「筆者は魔女狩りの終焉を考察するうえで、非常に顕著な一つの現象に注目したいと思う。それは、オランダにおいて、他の地域よりも一世紀以上早く魔女狩りがおおむね終息したという事実である。それだけではない。オランダは魔女狩りが最も早く終わった地域であると同時に、大学において臨床医学すなわち患者を診察するという試みが最初に本格的になされた国である。これはフランスに先立つことにおよそ二世紀近い出来事である。」

「勤勉の倫理からみれば精神病者は道徳的に低い怠け者とされ、治療、福祉があとまわしにされる傾向は最近まで続いた。十七世紀のウェブスターの戯曲にも出てくるように、ロンドン市民は日曜日になると精神病院べドラムの見学に出かけるのが楽しみの一つであり、入園料が病院の収入の少なからざる一部を占めていたのであって、これは動物園にはるかに先んじた出来事である。

その見解の独創性は、本論に限らず、小文字で書かれたさまざまな注記にまで及ぶ。

「しばしば、わが国ではなぜ魔女狩りがなかったのかという問題が提出されるが、その一部はおそらく、ネオプラトニズム的な幻想的問題解決の中心でありえたかもしれない比叡山を織田信長がことごとく焼き払い、僧侶たちを皆殺しにすることから始まって、一向一揆撃滅、キリシタン弾圧をへて十七世紀中葉の檀家制度確立(いっさいの宗教布教の禁止を含む)、あるいは医療からの神官・僧侶の追放という徹底的な世俗化のせいであろう。(中略)
 森の文化を根こぎにしたのは浄土真宗で、その支配地域は民話・民謡・伝説・怪異譚を欠くことで今日なお他と画然と区別される。世俗化への道をなだらかにした、プロテスタンティズムに類比的な現象である。」

この論文の骨子が第三章として収められた『分裂病と人類』(1982 東京大学出版会)の第一章では、さらに巨視的な視点から、分裂病親和者(S親和者)の気質について述べている。

「われわれが知る現在の狩猟採集民たとえばブッシュマンは、長年にわたり農耕牧畜民の圧迫をこうむり次第に沃野から駆逐され、さらに近代国家の「自然保護地区」―当然、狩猟獣に富む地域―からの実力による排除によって絶滅に瀕しており、かつて人類の主流であったおもかげは今はない。それでもなお、彼らが三日前に通ったカモシカの足跡を乾いた石の上に認知し、かすかな草の乱れや風のはこぶかすかな香りから、狩りの対象の存在を認知することに驚くべきである。(中略)過酷な条件下にもかかわらず、彼らの一日の労働時間はたかだか八時間で、多くの時間を木蔭の涼しいところで過ごしうる。持続的な権力者はなく、派閥的な闘争もない。獲物の配分は狩りに貢献した者本位にルールがあり、要するに複雑な権力組織を展開していない。
 これと対応して彼らの知識と技術はきわめて一身具現的であり、動植物、地理について具体的、詳細正確である。われわれはおそらく、もっとも古型の農耕社会(たとえばニューギニア高地民)においても片隅の見栄えのしない位置なら与えてもらえそうであり、また与えられれば生きられるだろう。しかしブッシュマンやピグミーの永続的な仲間となる能力は全くないであろう。(中略)
 狩猟採集民においては、強迫性格もヒステリー性格も循環気質も執着気質も粘着気質も、ほとんど出番がない。逆にS親和型の兆候性への優位(外界への微分〔回路〕的認識)が決定的な力をもつ。」

ここではつまり、人類が狩猟採集生活を送っていたときは、分裂病親和者が気質の特性を生かすことができたが、その後農耕社会が始まってからは、強迫性格や執着気質の人間が増え、その気質の特性を生かす社会になったということを述べている。そして、その結果分裂病親和者が異端視され、有徴性を帯びることになったという意味も含んでいる。すなわち、分裂病を異常として析出するのは、農耕を開始した以後のこの社会のほうだということになる。

分裂病者の社会『復帰』の最大の壁は、社会の強迫性、いいかえれば強迫的な周囲が患者に自らを押しつけて止まないこと、である。われわれはそれを日々体験している。われわれは社会の強迫性がいかに骨がらみかを知っており、その外に反強迫性的ユートピアを建設することはおそらく不可能である。ただ、言いうることは、私がかつて分裂病者の治療は『心のうぶ毛』を失ってはならないといったが、実はそれこそは分裂病者の微分(回路)的認知力であり、それが磨耗してはすべてが空しいことである。少なくともそれは、分裂病者あるいはS親和者から彼らが味わいうる生の喜びを奪うであろう。」

このような、精神医学の相対化につながる視点が、その後の『治療文化論』(1983初出 岩波現代文庫)でもたびたび顔を出す。それが治療者としての謙虚な姿勢として行間から立ち昇ってくる。

「彼(エランベルジェ)は、精神療法の未来を世界各地の(すでにほろんだものも含めて)ネイティヴな精神療法に求めるべきことを高唱している。もっとも第一級の精神科医ジャネ、ベーネディクト、ユング、そしてフロイトさえもがヨーロッパ国内の非正統的医学、呪術、降神術などに関心を示してきたことを考え合わせるならば、問題は早くから表皮一枚下まで成熟していたのかも知れない。個人的経験を語ることをゆるされれば、私たち神戸大学精神科の医師三名がインドネシア国内学会に招待された時、私と同じ大学の若い同僚の率直な感想は、『ここに学ぶべきものは多くあっても、われわれの教えるべきものはほとんどない』『精神医学先進国インドネシア』であった。」

「非病者の中には、病気にならなくてよい人もあるが、病気になる能力に欠ける人もあり、病気になれないために苦渋な生活を送り、ついに解決としての、集団のルール違反あるいは犯罪を選ぶ人がある。『割りの合わない犯罪』『立派な社会人のバカげた小犯罪』は、人知れぬ苦渋な生活の行き着く果てでありうる。逮捕された人間は時に晴れ晴れとした表情をしているではないか。」

ここに引用しているのはほんの一部でしかないが、オリジナルで体系的な思考が、分厚い教養に裏打ちされて次々に飛び出してくることに感動を覚える。ただ、こうした分厚い教養を備えた世代は、日本では今後もう二度と現れないかもしれない。私達にできることは、せめて「この人を見よ」と大きな声で伝えていくこと、なのだろう。


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